海外アート情報 [2] オルセー美術館

アート

世界最大規模ともいわれているルーブル美術館と並ぶ人気の「オルセー美術館」
印象派のコレクション数が世界最大と言われているので、印象派の作品が好きな方には必見の美術館ですね。

今回は年代順に、印象派の巨匠マネ・モネ・ルノワール、新印象派の代表スーラー、後期印象派の代表ロートレックの作品の中からご紹介させていただきますね。

ところで、ルーブル美術館とオルセー美術館の違いは、コレクションされている時代の違いだそうですが、ご存じでしたか?

ルーブル美術館は、紀元前5000年のメソポタミア文明から、1848年までの7000年位の間の作品がコレクションされている美術館。
それに対し、オルセー美術館は、2月革命のあった1848年以降から第一次世界大戦のはじまった1914年までの60年間の作品が展示されています。
1848年できっちり線引きされているって、ちょっとビックリですね。

1848年以降というのは、王政が終わってフランスに民衆の時代が到来した時代。
パリはまさに世界の文化やアートの中心的な存在となっていました。

オルセー美術館は、もともとは1900年のパリ万国博覧会のために建てられたホテル兼用の駅舎を再利用し、1986年にオープンした美術館です。
当時の大統領だったポンピドゥが、あちこちに分散している近代美術を一同に集めた美術館を作りたいという思いから誕生したとのこと。

駅舎の構造をそのまま利用した美術館なので、オルセー美術館のシンボルである大時計やアーチ型天井など、鉄道駅であった面影があちこちに残っています。

真ん中の展示スペースの両側にある壁の後ろも展示スペースになっています。
右側の壁の後ろのスペースと左側のスペースとで、展示されている作品がきちんと分かれて、とても分かりやすい作りになっていました。

右側の壁の後ろ部分は古典作品が展示されています。
神話画・宗教画・歴史画など

左側の壁の後ろ部分はリアリズム絵画が展示されています。
目の前の現実を描いた革新派の作品です。



モネの描いた「サン・ラサール駅」

私は以前、この作品を見て、駅舎だったオルセー美術館もこんな感じかな?と思っていました。
モネの描いたサン・ラサール駅は、天井の部分が三角形、オルセー美術館はアーチ型とちょっと違いますが……

モネはこの駅舎を数回描いているそうですが、全ての作品が駅や汽車の詳細な描写ではなく、朝の大気や機関車から噴き上がる蒸気を通過する光の描写といった駅の雰囲気を描いているそうです。
モネの家があるジヴェルニーへもこのサン・ラザール駅から行けるので、モネもこの駅を利用していたんですね。

モネの描いた作品「サン・ラザール駅」


入り口を入って一番に目に飛び込んできたのが、この自由の女神のレプリカ。
自由の女神は現在ニューヨークにあり、アメリカの象徴となっていますが、元々はフランスが1886年にアメリカ独立100周年を記念して寄贈したもので、パリ市内にもいくつかあるそうです。
そのうちの一つが、オルセー美術館に展示されていたんですね。

フランスがアメリカに送った自由の女神のレプリカ


それでは、いよいよ印象派の巨匠モネやルノワールの作品がずらっと並ぶ5階へ。
5階にはこの大時計があり定番の記念写真スポットになっています。ここからパリ市内も見れて、ちょっと感動ですよ。



大時計の反対側にはロートレックの大きな作品がありました。
この作品は、1895年の トロン・フェア のブース正面を飾るパネルとして制作したもので、「ムーア人の踊り「 La danse mauresque」と「ムーランルージュでのダンス La danse au Moulin Rouge」
踊り手は両方とも人気の踊り子、ラ・グリュだそうです。
思いがけず、ロートレックの大作が見れて嬉しくなってしまいました。

右の壁面は、ロートレックの作品「ムーア人の踊り「 La danse mauresque」
左の壁面もロートレックの作品「ムーランルージュでのダンス La danse au Moulin Rouge」


ロートレックといえば、ムーラン・ジュールの作品やポスターで有名なので、参考までにご紹介させていただきますね。
左の写真は、モンマルトルにあるキャバレー「ムーラン・ジュール」
ムーラン・ジューとは、フランス語で赤い風車という意味で、建物の上に風車を作り全体が赤で統一されていて、こんな感じです。
右のポスターは、歌手のアリスティード・ブリュアンで、帽子とスカーフを身につけてステッキを持ち、キリッとした顔つきが特徴的。よくロートレックのポスターとして紹介されているのでご覧になったことがある方も多いのではないでしょうか。

ムーラン・ルージュの(パンフレット画像)
ロートレックのポスター
画像出典:グレート・アーティスト


こちらはマネが1863年に制作した「草上の昼食」という作品ですが、サロンに出展し落選。
その後、落選した作品を集めて開催された「落選展」に出展したことにより、フランス芸術界に大スキャンダルを巻き起こしたと言われている作品です。
男性が衣服を着ているのに対して女性は不自然に裸の状態で描かれていますよね。
当時の西洋美術では宗教画などの女神や天使を描く場合以外裸で描くことが許されていなかったので、実在する女性をヌードで描いたと批判が集中したそうです。

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マネの作品「草上の昼食」


ちなみにこの「草上の昼食」は、多くの画家がマネへの尊敬の気持ちを込めオマージュ作品を制作していて、印象派の代表画家であるモネや、セザンヌも描いています。
こちらのモネが描いた「草上の昼食」という作品は、マネの描いた作品と同名のオマージュ作品です。
同年代に活躍した画家・マネとモネ。それにしても名前が似ていてややっこしいですね。

この巨大な作品は、左側の作品が、縦4m x 横1.5m、右側の作品が、縦2.5m x 横2m。
この作品は、元々は1枚の巨大な絵画でしたが、保存状態が悪かった為にモネ自身が切断して2枚に分けたそうです。
この作品がどうして分断されてしまったかについてはいくつかの逸話があるそうですが、その中のひつをご紹介しますね。
サロンに出展するつもりで描いていたこの作品だったのですが、当時貧しくて家賃が払えず、その担保に大家さんにあげてしまったそうです。
その十数年後モネが大家さんから買い戻した時には、丸めて地下の倉庫に入れられていたのでカビてしまい、かびていないところを切り取ってモネが保管していたのがこの作品。
ほんとのところは分かりませんが、いつも金欠だったと言われていたので、モネらしいエピソードかもしれませんね。

マネの作品と違うところは、マネが人物にスポットを当てて描いているのに対し、モネは風景画風に描いていて、画面の中に光の表現を入れているところ。
モデルは、モネの妻カミーユや、親しい画家の友人・バジールだそうですよ。

モネの作品「草上の昼食」


このモネの作品「日傘をさす女」は、3作品描かれています。
左の作品が3枚目、右の作品が2枚目に描かれ、この2作品はモネが45歳の時の作品です。

どちらも妻カミーユが病死してから6年後に描かれた作品で、モデルはカミーユの死後に結婚した2番目の妻アリスの子供シュザンヌだそうです。
1枚目は妻カミーユがモデルで顔が描かれていますが、2枚目・3枚目の作品は顔が描かれていないことから、亡くなったカミーユのことを想って描いたのではないかと言われています。

この2作品が並べて展示されていて感激!。
2作品並べて見れることって、なかなかないですよね。
それぞれの作品の魅力が何倍にもなって迫ってくるようで、モネの世界に引き込まれるようでした。

モネの作品「日傘をさす女」右が2枚目、左が3枚目の作品

こちらは、はるか昔になりますが私が若い頃から好きだった「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」、ルノワールの作品です。
その当時、映画「ムーランルージュ」を見たり、ルノワールやモネ・ロートレックの画集を眺めては、パリに憧れていたなぁなんて、懐かしい思い出にちょっぴりセンチメンタルに。

ルノワールにとって絵画は喜びを表現する手段で、「見る人が喜ぶ絵を描く」ことに価値を見出していたそうです。この作品もカフェで過ごす友人たちの楽しそうな情景が描かれていて、キラキラとした日差しとたくさんの人たちの熱気や躍動感が、画面を通して伝わってくるようですね。

ルノワールの作品「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」

この作品は31歳で世を去ったスーラの最後の作品「サーカス」、未完の大作です。
こちらは、サーカスの一場面で馬に乗る女性やピエロの姿が点描画で描かれています。
客席が水平なのに対して、舞台の曲線や躍動感のある人の動きによって、サーカスの楽しげな雰囲気が伝わってきますね。

スーラーの作品「サーカス」

スーラーといえば教科書にも載っていた「グランド・ジャット島の日曜日の午後」が有名ですよね。
私もスーラーといえばこの作品、というようセットで覚えていました。
点描画は緻密な作業の繰り返しなので、この作品を仕上げるのに2年もかかったそうですよ。

参考作品:グランド・ジャット島の日曜日の午後
(画像出典:西洋美術史WHO’s WHO)

美術館はこんな感じ

美術館情報
・入場料:オンライン(16ユーロ)、美術館(14ユーロ)
・定休日:月曜日
・時 間:午前9時半から午後6時(木曜日は午後9時45分迄)
・最寄駅:Musee d” Orsay
・入場無料:毎月第一日曜日